学校・教育

《汎学力論考》

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「学力とは何か」、2011年に「脱ゆとり」路線に完全移行となりましたが、そのベースである「学力」自体に揺らぎがあるように感じます。
そこで、独自に研究をして、その蓄積を還元しようと考えました。
私が知りうる範囲の知識で自己完結的に思考実験を行った金剛石の原石をご覧いただければ幸いです。
先行研究の領域を出ることはないかと思いますが、私人であり、素人の私が出す結論や説は相応に評価していただきたいと思います。

はじめに―目覚めよ!―1 / 7 ページ

「疑う力のある人は、一つの問題に関して、さまざまな条件による場合分けをたくさん想定できる。(また、)場合分けごとにシミュレーションを精緻に行う能力(も持っている)。何通りも場合分けをして、それぞれシミュレーションできる人が最終的に勝負に勝つ。前提条件が変わってもすぐに対応できるし、実行段階で、一つ目のやり方がダメだった場合に、あきらめずに二つ目、三つ目のやり方も試すことができる(からである)。そのような臨機応変の対応ができれば、成功に近づくのは当然の事だろう」(和田秀樹『<疑う力>の習慣術』PHP新書)

 

「この民のもとへ行って言え。あなたたちは聞くには聞くが、決して【理解】せず、見るには見るが、決して【認め】ない。この民の心は【鈍り】、耳は【遠く】なり、目は【閉じて】しまった。こうして、【彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、立ち返らない】。わたしは、【彼らを癒さない】」(『新約聖書「使徒言行録」』)

 

「慢心して、呆けている愚か者は、まず…死ぬわ?」(『東方缶蹴り「八雲紫」』)

 

出典はばらばらで、意味もつながりがないように見えるが、それは、敢えて私が挑戦的に意味の隔たりができるように仕込んだからである。

 

私たちには贈り物として【選択能力】と【解釈能力】と【観察能力】その他大切なものを神からいただいている“はず”である。

 

多くの人はそのことに関し無関心で、“自由”という名の牢獄にとらわれているのではないかと危惧し、この書籍を執筆するに至った。

 

この書籍を通して多くの人に真意を知らしめることができればと思っている。

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