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般若心経 2

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般若心経 1 の続きです。

般若心経 21 / 14 ページ

今回は般若心経の二回目でございますが、前回は般若心経の中の「色即是空」を中心に
その周辺のご説明をさせて頂きましたのですが、前回と重なるところも当然出てくるの
ですが、その辺のところはご了承頂きたいと思います。

この般若心経というお経は、いくつも訳がありまして、一番有名なのは現在我々が読ん
でおります、玄奘三蔵。三蔵法師ですね、孫悟空に出てくるあの方が訳した般若心経で
すね。

別の人の訳したのも七つあるわけですね。その中のもう一つ羅什三蔵という方が、玄奘
三蔵より100年か、もっと前ですかね、そのくらい前の方だと思うのですが、その方
の訳した心経と、このニ訳が特に、一般の方には関係無いことかもしれませんが、学会
では、専門の方にはそういうことになってるんですね。

その玄奘三蔵が、この般若心経を、心経だけではありませんが翻訳しますね、中国から
インドへ渡りまして、このお経とか律とか論とかというものを持って帰られまして、そ
した翻訳したんですね。
玄奘三蔵の前にも羅什三蔵というような方が居られます。
で、玄奘三蔵の訳を新訳というんですね。新しい訳。それ以前を旧訳といいます。
それで玄奘三蔵がいろいろ考えて、前の方がこう訳してあるけれども、自分はこう訳し
たほうがいいと思う、という観点にたって訳してるので多少訳が違ってる。
一緒のものも勿論ありますよ、ありますけれども、そういうところが出てくるわけで
す。

その一例を挙げますと、「観自在菩薩」というのがありますね、これは「観世音菩薩」
ですよね。
で、羅什三蔵は観世音菩薩と訳してあるんです。
ところが玄奘三蔵は、観自在菩薩と訳してるんですね。
この玄奘三蔵が、翻訳にあたりまして、この五つは訳しますまいと決めたんです。
その一つは陀羅尼ですが、現在の学者方は訳しておりますけれども、玄奘三蔵はこれは
訳したらもったいない、甚深微妙(じんじんみみょう)なんだということで訳しない、
陀羅尼なんだと。

インドにあって中国に無いものがありますね、迦陵頻迦(がりょうびんが)といって、
インドにはあるけど中国には無い。
そういうのは訳しようがないからインドの言葉をそのまま使うんわけです。
但しそれは音写してるわけですね、漢字をあててるわけです。
そして、ひとつの言葉にもいろんな意味があるんですね。

その場合、どれをとったらいいのかという問題が出てくるわけなんですが、その言葉の
どの意味を仏様がお使いになっているのか。
お釈迦様が、Aという言葉をお使いになって、或はBと、或はCと訳してしまったら間
違いになってくるわけです。ですからいろいろな意味を持ってる言葉は、もう訳さない
で敬遠しておきましょうということですね。
それから前例のあるもの。この言葉は誰が訳してもこの意味で敬称してきたというよう
なことですね、前例のある言葉。

阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)というようなのがそうだと思
うのですが。これも訳しようと思えば訳せるんですけれども、訳してしまうと、かえっ
てその本当の意味が薄れてしまう。